教育とは共に学び成長すること

一般的に教育とは、教える側と学ぶ側との正常な関係性によってもたらされるものだと解釈することができます。
確かに各種学校などの実情を見ると、先生が生徒に教育を施している姿が見受けられます。
それもまた、立派な教育体系の一つと言えます。
しかし、何かを学び取るということは、必ずしも生徒だけに必要なことではなく、それは先生にも必要なことです。
なぜなら人間は誰も皆、決して完璧ではないからです。
たとえ学問を教える立場の先生であっても、何もかも全て学び終えたわけではありません。
まだまだ学ばなければならないことは、沢山あるはずです。
それに教育というのは、単に学問を学ぶことだけを指しているのではありません。
礼儀作法や道徳・倫理など、人として学ぶべきことは学問以外にも様々にあるのです。
学問は頭脳を成長させてくれますし、礼節や倫理道徳は人格を成長させてくれるのです。
また、体を鍛えることは健康で丈夫な肉体を成長させてくれます。
このように、体育では体を鍛え、知育では知恵と知識を育み、そして徳育によって健全な人間性を育んでゆくのです。
それら体育、知育、徳育の三拍子が調和良く揃ってこそ、それが本当の教育となるのです。
しかもその三拍子の教育は、教える側も学ぶ側も、日々、それぞれに学んでゆくべきものです。
よく、「親は子育てを行いながら自分も子によって一人前の親に育てられる」と言いますが、それは教育においても同様です。
すなわち、「先生は生徒を教えながら自分も生徒によって一人前の先生になるよう教育されている」のです。
教育というものは、正に、共に学び成長していくものなのです。
それゆえ、先生も教える側としての権威を保ちつつも、常に謙虚であらなければなりません。
なぜなら何かを学ぶ時には、謙虚でなければ学べないからです。
もしも先生がいつも偉そうにふんぞり返ってばかりいるようになってしまったら、その時には先生ではなくなってしまいます。